話を丁寧に聴くために、早合点・早とちりにブレーキをかける

新人・後輩の話を聴く際、途中で内容を把握したと感じることがあります。理解の早さから、最後まで聴かずとも分かることもあるでしょう。ですが、早合点・早とちりによって、誤った捉え方をしてしまう場合もあります。
ここでは、そのような早合点・早とちりにブレーキをかけることが、新人・後輩の話を丁寧に聴く姿勢に繋がるということについて記載していきます。
どのタイミングで、話の大枠を把握するか
新人・後輩の話を聴いていて、どのようなタイミングで、「分かった」「把握した」と感じるでしょうか?
自分が知っている内容かどうか、というところが大きいと筆者は感じています。
知らない内容の場合、大枠を把握するために語られたことを丁寧に聴こうとします。途中まで聴いても全貌が見えないため、引き続き聴く姿勢を維持するでしょう。
知っている内容の場合、途中で話の全貌に見当が付いたら、「この話だな」と早合点・早とちりして、そこで理解を止めてしまう恐れがあります。
また、把握したと感じると、理解を止めるだけでなく、「話を聴く」から「どう答えるか」に思考が切り替わることもあります。そうなると、残りの話が入ってこなくなるかもしれません。
一区切りのタイミングまで待つ
話される内容は、必ずしも整理された状態とは限りません。新人・後輩の場合は、新しいことを覚えようとしている途中だったりするため、考えながら話をすることの方が多そうです。
9割まで聴いて把握したと思っていた大枠が、最後の1割のところでひっくり返るかもしれません。話をする中で、自分の言いたいことが終盤に言語化されることもあるためです。
聴きながら見当を付けることはしつつも、結論は聴き終えるまで保留にする姿勢を持ちたいと考えます。
話が一区切りになったかどうかも、新人・後輩に訊いてみないと分からないと思われます。そのため、筆者は一区切りと感じたタイミングで、下記のような確認を挟むようにしています。
「ここで一区切りにして良さそうでしょうか? 話してみようと思うことがまだあれば、聴かせて欲しいです」
フィードバックする前に状態を確認する
新人・後輩の話を最後まで聴き終えたら、何かしら反応したくなることもあると思います。アドバイスをしたくなるかもしれません。
新人・後輩側は、アドバイスが欲しいときもあれば、ただ話を聴いて欲しいだけというときもあるでしょう。望んでいないときにアドバイスをしてしまうと、話し終えた後の内省を妨げてしまうかもしれません。
筆者の場合、フィードバックする前に、下記のような投げかけで状態を確認をしたりしています。
「ここまで話してもらってそれで満足であれば、ここで終わろうかと思います。アドバイス等を聴いてみようと思う場合は、私の考えをお伝えしてみます。いかがでしょう?」
断定ではなく、言葉を置きに行く
新人・後輩から、話したことへのアドバイスや感想を求められることもあるかと思います。そのようなときに、出来るだけ断定は避けたいと、筆者は考えています。
認識している内容は、話し手である新人・後輩と聴き手である研修・育成担当者で異なっていることもあり得ます。認識・解釈を確定したものとして話を進めると、それが違っていた場合、新人・後輩は違っていると言いづらくなるかもしれません。
違っていたときに訂正しやすくするために、断定ではなく言葉を置きに行く姿勢が大事だと考えます。筆者は、解釈・受け取りを下記のような言葉で置きに行ったりしています。
「○○さんが話してくれたこと、私は△△だと捉えました。認識が違いましたら、教えてもらえると嬉しいです」
自分の枠組み
どれほど学びを深めたり経験を積んだりしても、自分自身の考え方の枠組み・フィルタから逃れることは出来ないと考えます。
自分の考え方・価値観の傾向・偏りに自覚的になろうとすることで、早合点・早とちりを減らしていけるのではないでしょうか。
参考情報
考え方・価値観は、自分がどのような集団・組織に属しているかによっても影響を受けます。自分がどのような考え方・価値観を持っているかに意識を向けるために、下記など参考になるかもしれません。
引用:『多様性の科学』 – マシュー・サイド[著] – (ディスカヴァー・トゥエンティワン:2021)
第1章 画一的集団の「死角」
Ⅴ 画一的な組織では盲点を見抜けない
我々はみな、自分自身のものの見方や考え方には無自覚だ。誰でも一定の枠組みで物事をとらえているが、その枠組みは自分には見えない。結果、違う視点で物事をとらえている人から学べることがたくさんあるのに、それに気づかずに日々をすごしてしまう。